昔、養老孟司さんの本だったと思うんですが本当の理解とは頭と体の両方でするもんだ。みたいなのを読んだ記憶があります。
自分もまったくその通りだと思うんですがそれはつまり本当に理解したってことは完全な理解によって自分の概念を定義しちゃうってことになるんじゃないでしょうか?
それはつまり自分が考える世界はこうなんだって理解してるとその人にとって世界は理解したままの姿で写る・・・みたいな。
だから年配の方ほど自分の中にたくさんの理解を抱えてるから融通がきかない場合が多いのかも。
でも生きるって事は変化するって事だから自分の中の理解を常に客観的に監視する必要があるんじゃないでしょうか。
例えば自分は目の前で起こったことに対してどう反応したのかを常に客観的に自己分析してこういう定義・理解をもっているのは本当に自分の役にたつのかと常に自問するのが生きるということなのかもしれないなー。
そーいえば最近読んだ本に自分の持っている定義をかえるには自分の定義は変えられるという定義をもつことだって書いてありましたわ。
なんじゃそら!ってソッコー突っ込みましたがまーホンマそれしかないですよねーとも思います。
でも自分の持っている定義をかえるなんてそんな簡単にできるもんじゃないですよね。
そこでやっぱり教育が大事になってくると思うんですが今の義務教育って一番教えなきゃいけない事を教えずにどーでもいーことばっか教えてるようにしか見えないんですよね。
んーでも教育者がまず子供になにを教えるべきかってのを理解してないとちゃんと教えることなんてできんとも思うし・・・。
そー考えるとどこかの段階で大人が変わんなきゃなんないんだろーな。
って寝れなかったので支離滅裂な文章書いてみました。